常識とは恐ろしいもので

見ているもの、見えているもの、それぞれ感じ取るものは違うものだ

 またさぼり始めて2週間弱。その間に世間は様々なことが起こっているもので。何か変わるものがあるのか、と言われれば、確実に変わっていくだろうと思えるけれど。変わらないものも確かにあると言える。

 出来事一つで感じ取るものに違いがある。

 激しく感情が揺さぶられることもあれば、何も感じず無関心であったり。それらの感情は何によってもたらされたものなのか、学者でもないのでわからない。その人が持っている本質的なものなのか、環境や教育による現象によるものなのか。

 持ち合わせている個人個人の常識によって変わる視点は美しくもあれば恐ろしいものであったり。

 私たちは、花壇に植えられている植物を見て美しいと感じると思う。

 人によっては何とも思わない人もいる。

 またある人にとってはけしからんものになる。

 それぞれの常識はその人の思考を操作して行動を促してしまう。そう思うと“常識”という言葉は何とも恐ろしい。けれど人々は、社会的な常識、世間的な常識、組織的な常識と、個人的な常識で動いている。

 常識を実行することは危険思想だと説いたかの文豪はさすがだなと思った。

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